7部用男體與男色看人生的男同志電影,讓你讚嘆好美好感動

你愛看裸男肉體的感官刺激還是愛情、生命觀的精神掙扎呢?香港導演雲翔的電影在各個層面都能滿足你。雲翔在《無野之城》上映之後成為了香港電影界的一顆新星,總是探討爭議性的議題和追求畫面的赤裸瑰麗,因此每有新作總是能引起文化、電影圈的熱烈討論。 以下為大家介紹他的七部電影,除了題材特殊、形式創新,更有無止盡的肉體讓你嗨心又揪心得不要不要的! 1. 《無野之城》 棒球隊、男同志與男體,這些令你開心的元素《無野之城》都有!《無野之城》上映時是香港第一部以棒球為主題的電影,事實上「無野之城」即是指香港,一個棒球運動並不盛行的城市。劇情改編自香港棒球代表隊參加2004年亞洲盃棒球賽時的真人真事,也由該隊成員出演,將香港棒球代表隊令人垂涎的體格完整、不保留的呈現在觀眾面前。 《無野之城》為導演、編劇和監製雲翔初試啼聲之作,以類似於紀錄片的形式拍攝,然而片中亦帶有少部分虛構情節。因為片中包含了大量男體裸露的鏡頭,亦有描述同志愛的情節,雖為虛構劇情,上映後仍引起了電影圈和文化界大量關注。 2. 《永久居留》 嘎粉們曾經歷過「異男忘」嗎?還是想知道異男和男同最貼近的距離能有多近?《永久居留》會讓你看到最赤裸的青春風采,看到男同和異男最不可能的那一絲可能,給你希望卻又眼看著它破滅。 《永久居留》由雲翔自編、自導,劇情內容大部分來自導演的親身經歷,因此描寫特別深刻。無法開花結果的愛情使人心碎,卻是最甜蜜的折磨。要浪費多少青春在失去之前緊抓著那些美好,苦纏著一個註定不能愛你的男人才算值得?《永久居留》會給你一個答案。 3. 《安非他命》 如果以上兩部都還滿足不了你,想追求更趨近極限的感官刺激,《安非他命》是你不得不錯過的作品:裸體跳樓、同性和異性的輪姦場景和裸體拷問,在在挑戰電影的尺度限制。 「安非他命」是毒品,也可解為「難道這不是他的命運嗎?」由雲翔自編自導的《安非他命》是繼《永久居留》之後,他的第二部以同性愛為主體的電影,用哀豔的鏡頭告訴你:愛或許就是毒,人可能戒得了毒,但戒不了愛。 4. 《愛很爛》 嘎粉們覺得愛是美好的蜜糖?還是致命的毒藥?導演雲翔用這部作品告訴你,愛沒什麼,而且其實很爛。荒唐混亂的婚禮上,十六位年輕男女發展出五段不尋常的愛情:異性戀、同性戀甚至兄妹不倫戀,在性愛激情過後,你會發現這些愛其實都一樣,一樣都沒結果。多個故事呈現在同一部作品裡或許讓你眼花撩亂,卻是在帶你看見人間愛情的樣貌。 5. 《遊》 《遊》是雲翔的首部英語電影,在中國、蒙古、德國、馬來西亞、澳洲及荷蘭等地取景,以精神科醫生的最後遊歷來探討人生和憂鬱。片中亞洲先生、越南混血模特兒和菲律賓混血藝人大秀演技和身材,養眼之餘更帶來一種悲壯的美感。 本片於芝加哥國際電影節全球首映,並讓導演在競賽中獲得藝術成就獎,表揚他對於LGBT電影界的努力和貢獻。 6. 《同流合烏》 《同流合烏》為賀飛在雲翔電影中初試啼聲之作,他在片中全見打手槍的畫面也成為網上瘋傳的話題。全裸男體和火熱的性愛畫面當然不可少,但這部片絕對不只帶來感官刺激,雲翔在《同流合烏》中解構並重組三島由紀夫與蘇格拉底的理念,建構愛情的烏托邦,探討四個人與四種愛的慾望,用最瑰麗的呈現方式帶給你精神上的衝擊。 帥氣逼人的文藝青年和蘇格拉底式的老師間的情愫,血脈噴張的畫面帶你探討什麼是內心真愛?性向又從何依歸? 7. 《三十儿立》 《三十儿立》中的畫面超越雲翔以往電影的大膽,邀請GV男優演出、讓美男演員賀飛獻身成為30P肉便器,加上諸多美好裸露男體,在上映前已經造成轟動與廣大迴響。如果這些還不足以吸引你的話,它的劇情也絕對精彩可期。 本片在台灣、香港、澳門、泰國四國拍攝,描寫三十位男生的三十歲故事,和他們失落的青春。《三十儿立》的題材與生命觀前所未見,探討的慾望、生死和宿命都是導演觀望人生的感悟。大批精壯裸男的感官刺激和劇情帶來的心靈衝擊,讓《三十儿立》成為你最值得期待的一部電影。 想要看《無野之城》、《永久居留》、《安非他命》、《愛很爛》、《遊》以及《同流合烏》,歡迎點下面圖片到「GagaOOLala同志電影線上看」: 作者:GagaOOLala Salim @ 25 August,2017 (转载自: https://goo.gl/Ke8tKe)

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裸体にこだわる香港の異才 ー SCUD(スカッド/雲翔)

08年にローレンス・ラウ(劉國昌)との共同監督作『無野の城/City Without Baseball』で鮮烈なデビューを飾ったSCUD(スカッド/雲翔)監督。続く『永久居留/Permanent Residence』ではゲイである主人公の報われない一途な愛、『アンフェタミン(安非他命/Amphetamine)』では愛しあっていたのにドラッグで壊れてしまう恋人たちと、ピュアなラブストーリーをアーティスティックに描くと共に、当時、人気グループEO2のメンバーだったオスマン・ハン(洪智傑)やミスター香港コンテストで注目されたバイロン・パン(彭冠期)などのイケメンたちをフルヌードにしたことでも話題になりました。「美しい裸体を記録する」その視線は、例えて言えば、写真家のレスリー・キーに近いかもしれません。  日本では5作目にあたる『ボヤージュ』が初の公開作品。「うつ病」と「死」をテーマにしたオムニバス作品で、2013年のシカゴ国際映画祭でスペシャルトリビュートに選ばれています。本作のアジクロシネマでの紹介記事がご縁となり、6作目『ユートピア』のDVDリリースで来日したSCUD監督に単独インタビューをする機会をいただきました。SCUD監督といえば、IT業界から映画の世界へ転身した興味深いキャリアの持ち主。アジクロでは、そんな監督自身の生い立ちや足跡から迫ってみたいと思います。 生い立ちからIT業界へ入るまで Q:監督はとても数奇な人生を辿っておられますね。中国で生まれ、国民党だったおじいさんは台湾へ渡ったけれど、ご家族は行くことができずに香港に移住されたそうですね?  監督「祖父は台湾へ移住しましたが、祖母は中国に残り7人の子どもたちを育てました。そのうちの一人が私の父です。祖母は香港へ移住していたので、私の両親はどちらも香港生まれです。私は中国で生まれました。香港へ移住したのは13歳の時。私の一番上の叔父は香港へ移住した後、シンガポールへ行き、詩人として活躍しています。『ボヤージュ』の冒頭では彼の詩を引用しました」 Q:監督もほんとうは芸術が好きだったけれども、働きながら勉強し、ITの会社に就職したそうですね?  監督「ITは私の最初の仕事で、映画を作る前にずっとやっていました」 Q:先にお金を稼いでから、映画を作ろうということだったのでしょうか?  監督「最初に就職できたのがIT業界だったのです。べつに好きだったわけではなく、選択肢はなかった。1979年のことで、当時ITは下火になっていて誰も興味を持っていませんでした。そこで、たまたまソフトウェアの会社に誘われて、就職できたんです」 Q:そのお仕事で独立して成功し、すぱっと辞めたんですね?  監督「22年ほどITの仕事をしましたが、その頃に大好きな祖母が亡くなり、いろいろ考え始めたんですね。とても愛している人が去ってしまった後、人生について、残りの人生をどうやって過ごそうとか考えるようになりました。そこで、仕事を辞め、キャリアも捨てて、オーストラリアへ移住したんです」 映画監督への道 Q:映画を作ろうと思われたきっかけは? 昔からお好きだったんですか? p3  監督「そう思うようになったのは、オーストラリアへ行ってからですね。それまではずっと働きづめで、考える余裕もなかった。映画業界に友人はいたけど、ただの趣味で、こんな風に監督になる機会があるとは思ってもいませんでした。そのアイデアが浮かんだのは、オーストラリアのビーチにあるお気に入りのベンチで読書をしていた時です。突然気づいたんですね。  その理由の1つは、当時アンハッピーだったことと関係しているかもしれません。身近な人たちのことを映画にするという夢を実現してみたくなったのです。安定した仕事やお金、車、家…と、そういう夢はすでに実現していたので、他人からみれば幸せに見えたかもしれません。だけど、それらは私の夢ではなかった。私の夢は常に音楽や文学、もっと芸術的な詩的なものの中にありました。それが、憂鬱で悲しい生活から逃れ、ほんとうに好きな世界に飛び込む唯一の方法だったのです」 Q:仕事をしている時も映画は観ていたのですか?  監督「子どもの頃から映画はレンタルビデオで観ていました。1991年か1992年に、仕事で某大手銀行へソフトウェアを納品する仕事があり、ソフトができあがった後は、銀行へ出向してそのシステムについて教えていたんです。仕事が終われば、私もオフになる。ちょうど銀行の前に大きなレンタルビデオ屋があったので、毎日夕方になると、3、4本の映画を観ていました。当時はビデオが人気で、ブロックバスターの映画とかたくさん観ていました。2年間で2000本以上は観たかな」 Q:じゃあ、映画は観て勉強したという感じですね。  監督「そうですね。そうしたかったもう1つの理由は、自分のうつ病です。もう何年もうつ病と闘ってきて、自殺願望もあり、友人にも相談していました。そんな時、仕事先のパーティで、ある友人からアドバイスをもらったのです。自分の人生を終えたくなったら、とにかく映画館に入って映画を見ろと。すると、映画館にいる2時間は映画に没頭できたんです。私にとって映画というのは、単なる娯楽ではなく、映画は多くの人の人生を変えたり、価値を持たせたり、命を救うこともできるのだと気づきました」 Q:ヒーリング作用があるということですね?  監督「そうです。とてもあります」 レスリー・チョンが跳んだあの日 Q:香港といえば、レスリー・チョン(張國榮)さんがやはりうつ病で亡くなりましたけれど(2003年4月1日)、当時はいかがでしたか? 失望されましたか?  監督「あの時、車でマンダリン・ホテル(マンダリン・オリエンタル・ホテル)の近くを通っていました。友人をセントラルまで送っていったんです。彼には大事な約束があり、間に合わないかもしれないとナーバスになっていたので、大丈夫だよと。で、彼を下ろして、時計を見せた。それが、まさにその時だったんです。それから、ウォーターフロントを走っていて、レスリーが跳び降りた。運転していて、なぜか後ろのその場所を振り返ったんです。霧が深くて、車の外もよく見えないような日でした。マンダリン・ホテルに興味はないのに、なぜ、そっちを見たのかわかりません。とにかくそっちを振り返ったら、何かが起こった、または起ころうとしていると感じました。そんな気がして家に帰ると、レスリーが命を絶ったと友人が言うので、エイプリルフールのジョークだろうと信じませんでした。もちろん、事実でしたが。  当時、私のニックネームの1つがレスリーと同じ「ゴーゴー(哥哥)」だったんです。レスリーのファンは皆、彼をそう呼んでた。「お兄さん」という意味ですね。自殺するなんて愚かだという人もいたけど、この出来事でわかったのは、うつ病は確実に自分を殺すということ。エイズとかそんなことは信じてません。もちろん、彼は違いましたが。このことで私は、自分の問題にどう立ち向かおうかと、より深刻な見方をするようになりました。  実は、最初の『無野の城』を撮った後で、レスリーのファンクラブ関係の女性から、レスリーのドキュメンタリーフィルムを作ってくれないかと打診されたのですが、自分には荷が重すぎるので、アイデアならいくらでも出すけれども、監督はできないと辞退しました。そういうこともあり、『ボヤージュ』にはレスリーへ私なりのオマージュを捧げたシーンがあります」  思いがけず、興味深いお話を聞くことができました。そういえば、『ボヤージュ』にかぎらず『アンフェタミン』や『愛很燗/Love Actually…Sucks!』でも跳ぶシーンが重要なポイントになっているし、デビュー作『無野の城』ではレスリーを含む多数の亡くなった有名人へのトリビュートが挿入されています。作品のお話が出てきたので、ここからは監督の作品や映画作りについて尋ねてみました。 ハーマン・ヤウ監督は一番の友人 Q:ハーマン・ヤウ(邱禮濤)監督とよく一緒に仕事をしておられますね。  監督「彼には2つの作品(『永久居留』『愛很燗』)で撮影監督をしてもらっています。ハーマンはこの業界で一番の友人です。彼自身、監督として100本くらい作品を撮っていますが、最も信頼できます。例えば(写真集を見せながら)『永久居留』では、二人の青年が海へ泳いで行き、戻ってくるシーンがあります。あれは夜でしたが、雨が降る前で、かなり俯瞰から撮影しました。「はっきり見えないけど、これでいいのかな?」と尋ねると、「君が気に入っているならそれでいいんだ」と。ハーマンはストレートで奥さんや娘もいます。ゲイではありませんが、はっきり見えないセックスシーンでも、これでいいんだと。芸術に関しては男女に関係なく、審美眼を持っていると思います。 p3 自身も写っている写真集を広げて説明する監督  例えば、フランク・ラウ(『永久居留』の写真集でスカッド監督とバイロン・パンによるイメージフォトを撮影したフランクリン・ラウ)ですが、彼は香港ではとても有名なカメラマンでマイクロフィルムも撮っています。(写真集を見ながら)これは私なんですが、撮影中はとても乗っていて、接近して何度も撮影していました。ギャラの話は決まっていたんですが、楽しかったから要らないと言ってくれました。彼はカナダに移住したばかりで、奥さんと二人の息子と暮らしています」 Q:影響を受けた監督はいますか? 例えば香港だと、ヨン・ファン(楊凡)監督(『美少年の恋』)やウォン・カーウァイ(王家衛)監督(『ブエノスアイレス』)などがいますが。  監督「香港はいないですね。ヨーロッパや日本の監督の方が私にとっては魅力的です。パゾリーニ監督が私の一番のアイドル。ベルリン国際映画祭で『アンフェタミン』が初めて上映された時、批評家がこの映画に対して「現代のパゾリーニ」と書いてくれたんです。その時は最高の気分でした。日本だと大島渚監督が好きですね」 『ユートピア』について  5月に先行してレンタル版がリリースされた『ユートピア』(7月5日にセル版リリース予定)は『ボヤージュ』に続く第6作目。本作は昨年1月に日本で最初に公開され、香港と台湾では昨年10月に公開されています。 Q:香港と台湾での反応はいかがでしたか?  監督「私の作品が一番人気なのは台湾です。特に台湾の観客は、次の作品(台湾で撮影された『三十儿立』)を楽しみにしてくれていて、いい雰囲気ができあがっています。香港は私の拠点ということになっていますが、観客はそんなに多くありません。どちらかというとDVDでよく観られていますね。プライベートで観られるからでしょう。香港と台湾では違いもあります。今回、台湾ではノーカットでしたが、香港では2つのシーンがカットされました。香港の観客はノーカット版を観るために台湾まで観に行ってました」 Q:それはやはり中国との絡みでしょうか?  監督「そう思いますね。20年前の香港は台湾よりも自由でしたから。それから少しづつ香港は後退していき、台湾はだんだん自由になってきている。一番自由な国はマレーシアですね SCUD(スカッド/雲翔)監督 Q:日本で先に公開された理由は?  監督「この映画は三島由紀夫に影響を受けています。ある人から言われて、彼の作品を読み返したことからインスパイアされたんです。なので、やはり三島由紀夫にオマージュを捧げるべきだと思い、日本で最初に公開しました」 Q:登場人物の教授は、最初はとても遊び人に見えますが、最後には、奥さんと若者カップルと4人での親密で閉じた関係に入っていきますね。  監督「そうなんです。アメリカの映画祭などで上映されると、パンセクシュアルに分類されてしまうんですが、私にとっては、実際は4人だけの王国のことなんです。ふさわしい人を見つけたら、その人との世界を作り上げていく。それこそがユートピア。だから、この作品を作りました。必ずしも対象が大勢である必要はないと。この作品でいえば、彼らをつなげているのは文学や音楽。芸術ですね」 Q:監督の作品には、たくさんの裸が出てきます。でも、不思議といやらしい感じはなく、例えばローマの浴場や日本の銭湯のように、自然に撮られていて、明るさがあります。意図的に明るく撮っているんですか?  監督「そうです。私にとっては、それが自然なんです。むしろ、服に執着している人を見ると驚きますね。私は人間としての肉体にこだわっているのです。実際、誰かを好きになると、自然にその人の心が好きになり、身体も好きになる。服じゃないですよね? あなたが好きで、あなたの服が好きだけど、身体は嫌いなんてことはないでしょう?」 Q:『ユートピア』は『ボヤージュ』に比べるとシンプルでわかりやすい作品ですね。女性の視点も入っています。  監督「他の作品もそうなんですが、多くの観客の皆さんは女性の視点が印象に残るようです。母親とか、姉とか、時にはガールフレンドとか…。母親はいつも描いていて、実際に一番多く登場しています」 Continue Reading

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